ハローハロー
こちらは曇りで湿気ムシムシです。
こちらは曇りで湿気ムシムシです。
そちらは、いかがおすごしですか?
さて、今日は、『許す』ことについて、ちょっと考えてみた。
免許、許認可制、入学許可、とか社会で他人から許されると身分が与えられる。
免許、許認可制、入学許可、とか社会で他人から許されると身分が与えられる。
一定以上の知識、経験、腕前を身につけたら・・・許される。
でも、『許す』って、そもそも何なんだろう??
公的な許し以外にも
個人と個人の間でも
ごめんと言われたら許さなきゃいけないとか
真面目な会議だから、あくびは許されないとか、
許すとか、許さないとか、許されないとか、ホント何なんだろう??

「許す」をイメージすると上の図のようになった。
自分より目上の他の誰かから許しは与えられる感じがする。
法律では、定められてる範囲を越えると国民のみなさんから許されない。
スピード違反とか既婚者の不倫とか??
国民のみなさんは柵の中にいるけど、許されなかったものは柵の外に締め出される。
そして、許されると、また柵の中に戻れる。
けれど、なんかもっと些細なこと、
もらったメールと同じボリュームで返さなきゃいけないとか
日帰りできる距離なら出かけてもいいとか
急に外泊はダメでしょうとか
ご飯残すとか
一日何円までの買い物ならいいとか・・・

自分でもちょっと窮屈だ、つまんないなと感じているのに、
なかなか自分に許せてないことって無いですか?
誰も取り締まってないのに。
誰の許しが欲しいんだろうね。
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