バス停のベンチってお尻冷えそうだけど、レトロで可愛いよね。
だって結局、
1から30までの数字を
何度も何度も
頭の中で数えるだけなんだもん。
なぁ〜。
あ〜んなに夢中だったのに、
夢中だったのに、、、
なぁ〜
飽きちゃったよ〜ぅ。
残念。
筋トレ。
と、言うわけで
退会までの消化期間に入ったジムに
久々に行った
さほど寒くない雨の夜です。
今日は、
「見える」とは、どういうことなの?って
考えてみる。
試しに、椅子に座ってみる。
そこから何が見えますか?
時計
床
壁
スマホにタッチする自分の指
パジャマ着た自分の太もも
カレンダー
机の上に醤油、
ソース、
ヤカン
で、、、
ここで気づくのは、
自分のカカトって見えないんだなってこと。
つまり、
人間、見えているもの以外、
見えてない。ってこと。
自分のカカトなのに見れない。
「存在する」のに見えない。
だから、カカト見ようと思ったら、
座り方を変えたり
片足を膝の上に預ける必要がある。
ふむ、これってすごい。
すごいよね。
そういえば、
自分の頭髪の地肌も見れないよね。
美容師さんとか家族に
ネェネェどうなってる?って聞くことはできるけど、
自分で直に見れない。
直に見える/見えない
これが今回のテーマ。
(鏡を使うとか、写真撮るってのは今回は無しよ。)
直に見るって実に主観的な体験だ。
お風呂に入って
髪を洗う。
やっぱり自分の頭髪の地肌って、
直に見れない。
おまけにシャンプーが目にしみないように
目閉じちゃう。
だけど、洗髪してると、
まるで直に見てるかのようにわかるよね。
地肌の様子。
地肌から髪の生える様子、
地肌のキメ、柔らかさ、油分、
見てるようにわかる。
これだな、、、
これこれ。
これですよ。
目に見えないものが見えるってこと。
見えないものが見えるって、
スゲ〜!って思うじゃん。
星の王子様も目に見えないものが大事だって言うじゃん。
それ、こういうことですよ、多分。
見る=どこに意識を置くか。
意識はひとつ。
だから、置いてある以外の場所は見れないのだ。
人間は、見てるもの以外は見えてないんですよ。
意識してないものは、存在しても見えてない。
(町並の一部が駐車場に代わっても、
以前そこに何が建っていたのかわからないのと同じ)
以前そこに何が建っていたのかわからないのと同じ)
リアルなドラえもんみっけ。


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